鎮西学院幼稚園には青い目のお人形の“アンナちゃん”がいます。
今日は全園児ホールに集まって、アンナちゃんについてお話を聞きました。
1927年(昭和2年)経済不況の時代で、日米の関係が悪化している中、宣教師の“シドニー・ギューリック博士”が「子ども達の時代には互いに仲よく平和な時代を築こう。」との願いを込めて、民間による人形交流を始めました。米国から1万3千体の「青い目の人形」が日本の小学校や幼稚園に寄贈。日本からは58体の返礼人形が子どもたちの募金で作られ、各都道府県の名前をつけて、米国に親善大使として贈られ、長崎県からも「長崎瓊r子」が渡米しました。
しかし、その後は戦争に突入し、日本へ贈られたお人形は捨てられたり、焼かれたりして戦後に残ったお人形は3百余でした。 そして、シドニー・ギューリックご夫妻の意志を受け継いだお孫さんが1980年代から毎年10体ほどの人形を日本に贈られ続け、わが園にも日米友情交流人形のアンナちゃんが寄贈されました。
平和の証であるアンナちゃんをこれからも大切にしていきたいと思います!
今日は全園児ホールに集まって、アンナちゃんについてお話を聞きました。
1927年(昭和2年)経済不況の時代で、日米の関係が悪化している中、宣教師の“シドニー・ギューリック博士”が「子ども達の時代には互いに仲よく平和な時代を築こう。」との願いを込めて、民間による人形交流を始めました。米国から1万3千体の「青い目の人形」が日本の小学校や幼稚園に寄贈。日本からは58体の返礼人形が子どもたちの募金で作られ、各都道府県の名前をつけて、米国に親善大使として贈られ、長崎県からも「長崎瓊r子」が渡米しました。
しかし、その後は戦争に突入し、日本へ贈られたお人形は捨てられたり、焼かれたりして戦後に残ったお人形は3百余でした。 そして、シドニー・ギューリックご夫妻の意志を受け継いだお孫さんが1980年代から毎年10体ほどの人形を日本に贈られ続け、わが園にも日米友情交流人形のアンナちゃんが寄贈されました。
平和の証であるアンナちゃんをこれからも大切にしていきたいと思います!